「研究とは何か?」アンケートにご協力下さい

Ph.Dコラム

中学・高校の研究指導を行っている先生方と接していると、「研究とは何か?」「良い研究とはどんなものか?」という点で混乱が生じているように感じることが多いです。

私自身の経験や信念に基づいてアドバイスを行っていますが、やはり分野や研究者によって異なる部分も大きいと思います。

(私自身、特にそのような教育を受けた記憶はなく、先輩方の背中を見て自分で解釈したものです)

また学会や大学等から統一見解が示された事例を知りませんが、おそらく「統一見解」にこだわると、玉虫色の参考にならない形になると予想します。

そこで多くの分野や研究者にアンケートにお答え頂いて、その共通性や多様性をそのまま示すことで、高校や中学のPh.Dを持たない先生方に参考にしていただきたいと考えています。

またこのようなアンケートは、学部生や大学院生の若手の人達にも役立つと期待しています。

是非とも多くの方々にお答えいただきたいと考えていますので、ご協力をよろしくお願いいたします。

 

研究を専門とする方だけではなく、学生さんや中学・高校の教員の方々にもお答え頂いた方が有益な情報になります

是非ともご参加ください。

 

私は生物系の植物分野に属していますので、必然的にそちらの方面に回答者が偏る可能性が高いです。

ご賛同頂ける場合は、できれば他の分野にも周知していただけると幸いです。

(特に大学の先生方に他の学科や学部の先生にご紹介いただければ幸甚に存じます)

アンケート結果は当ホームページで定期的に公表させていただきます。

(理想通りに行けば、少しずつ色々な分野に広がっていくと思いますので)

 

アンケートはgoogle フォームを使っています。

当ホームページとしては、個人情報の収集は行っておりませんし、匿名のままでお答えいただけます。

(ただし、google社が何かしらの形で情報を集めている可能性は否定できません)

 

 

コメント

  1. 匿名 より:

    アンケートの専門家を入れたアンケートを作製した方がよいと思いました。

  2. 泉井 桂 より:

    小学校高学年から夏休みの宿題として「自由研究」があります。私も2人の孫の手伝いを何度もしてきましたが、まず驚くのは、「研究」とはどんなことをするものかについて、学校では事前にほとんど教えられていないことです。「研究」と「普段の理科の勉強でならっていること」とはどう違うのか、先生は夏休み前の授業で何コマかの時間をかけて、実例をしめしながら、イメージをつかませることができればどんなに良いかといつも思います。ところが、理科を教える先生の大部分は、教育学部のご出身で理科ぎらいか理科にあまり関心のない方々で「自由研究」をしたこともなく、どんなことが求められているのかさえ理解・体験されたこともないようです。このあたりをまず改善するには、各地方の科学センターなどで先生が、自由研究に関する教育を短期間学ぶ制度をつくるか、「自由研究」専門の先生が、各学校を回って授業する制度を作ることが必要でしょう。中学生の宿題ではもう「自由研究」は夏休みの宿題になってないようで、大変寂しいことです。中高になると、普通科では「自由研究」は全く課せられず、一部の高校では「探究科」(京都堀川高校など)が設けられ、研究的なactive learning授業が行われているに過ぎず、わずかに普通科ではクラブ活動として生物部・化学部・物理部などがあり、興味をもつ生徒だけが研究的な活動を行っているにすぎません。科学のすそ野を広げるには、一般中高にも「自由研究」という科目を設置し、博士学位をもった先生も雇用して教育を行うべきでありましょう。かつて、東大の有馬教授が文部大臣になられて「ゆとり教育」を高校まで広げて実施されたことがあります。しかし、これは学力低下を招くとかの反対の声が挙がって、短期間でつぶされてしまいました。このとき高校の先生方は割り当てられた午後一杯の時間の使い方を知らず、大学の先生の出前授業(私も行ったことがあります)やいろいろな職業のプロによる分野の紹介などに費やされていました。
    現場の先生方は有馬大臣が企図された、自分で不思議と思った問題を見つけ、それをいろいろな手段を用いて解決しようとする活動 をどのように展開させればよいか理解していなかったために失敗におわったのです。私は、本当に教育改革の貴重なチャンスを失ったといまでも残念に思っています。
     高校の自由研究については、自分が高校生の生物部のときに行った経験がたくさんあります。ある時には、パン酵母によるブドウ糖の発酵を行わせ二酸化炭素の発生量をキューネ管を用いて測定する実験を行いました。このとき、どのpHが最適なのだろうとpH6くらいで一定に保とうとしましたが、すぐ酸性に傾いて、そのつどNaOHでリトマス試験紙をみながら、もどすという作業をおこないました。とても煩雑で、良い方法はないものかとずいぶん困ったことがありました。ところが大学へ入って1年生のときに何かの実験で緩衝液はpHが変化する化学反応においてもちいるもので、生化学でよく使われることを初めて学びました。高校生のとき、化学の授業で知っていた緩衝液をなぜ思いつかなかったのだろうと残念におもいました。しかし、今から思えば、あの時顧問の先生が、こういう時には緩衝液というものを使うと教えてくれていたらよかったのにとも思います。このようなことから、先生には、生物学のみならず化学にも素養がありある程度の広い知識をもった、総合的な見方のできる先生がおられたら生徒の研究をさらに進める手助けができたのではないかとおもいます。高校にも研究経験のある先生が必要だと強く思っております。
     現在の高校生によるポスター発表は、概して問題発見のところに十分時間をかけていないような印象を受けます。これには、じっくりおちついて、生き物を観察したり飼育したりして、不思議に思うことが自然に湧いてくるのをまつことがひつようなのではないでしょうか。
     研究対象が生物に偏りがちなのは、ある意味ではしかたがないことかもしれません。他の分野と違って、生物学の分野では、むずかしいところを生物自身にやってもらうので、実験方法は比較的簡単で、着眼点さえよければ、大人の研究者のレベルに達することができるからです。

    • 中川知己 tomomi より:

      泉井先生

      ご意見ありがとうございます。
      現場で接していると中学や高校の教員の先生方は、「教育のプロフェッショナル」だと感じます。
      生徒達に対する気配りや配慮、教え方なども工夫されていますし、特に中学生相手だと規律や規範意識なども根気よく教えておられます。
      (もちろん教員にも色々な人が居ますが、ご存知のように研究者だって色々な人がいます)
      私達は「研究のプロ」ですが、これは専門性が違うに過ぎないかと。
      教育のプロに研究のプロの知識や考え方を求めるのは、手助けなしでは無理があります。

      面白いことに研究指導をご一緒していると、先生方もコツや考え方を身に付けられて、中には研究に重心が移ってしまったように見える例もあります。
      研究の面白さや発見の楽しさを生徒だけではなく先生にも体験して頂いて、お互いの専門性を活かしつつ教育の充実と研究業界の発展につながればと考えています。

  3. BM より:

    EVOLVE, TAXA, jeconet, rika-kyouiku, bioedu, biometry, などのメーリングリストにも連絡を流すといいかもしれません。

    • 中川知己 tomomi より:

      ご助言ありがとうございます。
      もし可能であれば、ご案内差し上げたメールを流していただけると幸いです。

  4. 匿名2 より:

    匿名さんに同意です。
    いくつかの設問で2者択一であったり、グレーな回答の余地がない回答しづらい設問が多くありました。

    • 中川知己 tomomi より:

      ご意見ありがとうございます。
      結果をハッキリさせたいという意識が強く出過ぎたかもしれません。
      改善したいと思います。
      また後半の設問も、選択肢を予想しきれていなかったものが多く反省しています。

  5. とある研究者 より:

    生命とは何か、自分とは何か、知識とは何か、…こういう定義に関する問題は考え続けていくと哲学的な領域に入っていきます。

    実は、研究とは何か、と考えること自体(過程)に意味があることが往々にあり得ます。

    科学者の間でさえ、生命の定義にはっきりしたコンセンサスがないのに、世には「生命科学者」(と名乗られている)方々が大勢いらっしゃいます。つまり、「生命科学者」とは「生命とは何か」をひたすら考え続けている人(達)、とも言える、かもしれません。

    単なる私見ですが、おそらく世界中の「研究者」と呼ばれる方々が常に「研究とは何か」ということを考えているのではないでしょうか。その知的行為を伴わないで、もし何らかの単なる定型作業をしているのだとしたら、それは「研究ではない」かもしれません。一つの「研究とは何か」という問いに対する視点としてご参考までに。

    • 中川知己 tomomi より:

      ご意見ありがとうございます。
      まったく同意です。

      Ph.Dという学位の意味は、私はそのように解釈して誇りに思っています。
      (発祥は医学博士からの蔑称だったんじゃないかと疑っていますが)

  6. 室山泰之(東洋大学経営学部マーケティング学科教授) より:

    東京の私大にいる生物学の研究者です。ほかの方の「他の分野と違って、生物学の分野では、むずかしいところを生物自身にやってもらうので、実験方法は比較的簡単で、着眼点さえよければ、大人の研究者のレベルに達することができるから」というくくり方そのものが、科学者間の考え方の違いを明確に表していると思います。
    生物学がそれほど単純であれば、世界中にこれほど生物学者はいないと思います。基礎から応用まで(数学や物理、化学の知識までもって)、幅広い知識と技術を身につけていて、やっと自分の分野の研究者になれる総合的(今風にいえば学際的)な分野が生物学だと思っています。生物学は、数学のように、努力と才能があれば高みを目指せる純粋に「頭」だけで考えられる分野ではありません。生物そのものを知るだけでなく、生物が生息している環境や生物内部の機構にかかわる化学的な部分に関する膨大な知識とそれを生かせる技術とある種の感性がなければ、「大人の研究者レベル」には到底到達できないでしょう。「生物とは何か?」ということに、真摯に取り組んでいれば、冒頭のような発言はできないだろうと思います。逆に言えば、「天文学者になりたい」といえば、端的に望遠鏡や惑星探査機を思い浮かべるだけでは、きっと失笑を買うと思います。
    教育の対象に生物を使うのが、「予測可能なものを呈示する」ということであれば、コンピュータでシミュレーションをやったほうが、いまの生徒にはわかりやすいのではないでしょうか。生物には、ヒトであってもクマムシであっても、予測不可能なことが多く、一流の専門家でも、正解を出せるとは限らないのが、「生物学の課題」です。だからこそ、生物学は面白いと思う人が生物学者(の一部)だと思います。生物学では、不確実性やばらつきを排除することはできません。言い換えれば、生物学は、「生命の深淵」に触れるにはよい材料だと思いますが、教員試験(出題されているのは、一世代前の知識や理論で、いまでは否定されているものも、散見されます)に合格した理科教員に、わからない答えの面白さを生徒に考えさせるのは、荷が重い気がします。
    アンケートの目的に反するようなことを書き連ねて申し訳ありません。アンケートには答えます。

    • 中川知己 tomomi より:

      ご意見ありがとうございます。

       生物学に関して・・・・とは限りませんが、複雑で巧妙であまりに洗練されている仕組みを持つので、専門家でも手が届いていない or 気が付いていないことが多いです。着眼点さえ良ければ、簡単な実験で専門家と互角以上に戦えると私は考えています。
      実際に私のこれまで指導してきた生徒達は、専門分野の研究者が集まる植物系の最大規模の学会で、誰も知らなかったような発見を何度も行っています。
      使っているのは分子生物学技術などではなく、顕微鏡や色水などです。
      問題の核心を見極める技術があれば、多くの「最新機器・技術」は必要ありません。
      私が助言やヒントなどを与えて達成したことですが、見極めたり考えたりする技術を盗んで、将来は完全に自分の力だけで私が驚くような発見・発明をしてくれる・・・と期待しています。

       「幅広い知識と技術が無ければ届かない」とお考えのようですが、それは既に世界中の専門家達が血道を上げて取り組んでいるところにテーマを設定するからです。そこで行う研究などは、大学に行ってから好きな人がやれば良いと個人的には考えています。
      私個人の意見としては、「最先端技術や高度な知識が無ければ新しい発見ができない程度の人材では、誰でもできるようなことしかできない」です。
      最先端の研究を行っている大学や研究所に行ったとしても、その時代の技術制限もありますし、予算も無限にはありません。
      つまり逆に考えれば、理想的にはSSHでさえないような高校の制限された状況で、核心を見極めてアプローチできるような人材は、最先端技術が整えられた環境で革命を起こすのではないでしょうか?

      研究指導に関しては、やはり研究のプロの参加が必要だとは思います。
      しかし中学・高校の教員の方々も、「教育」という分野のプロフェッショナルです。
      「研究」しかやってこなかった私のような人間から、コツを少しずつ身に付けられた上で、私よりも余程上手に生徒に接して下さります。
      時間はかかるかもしれませんが、それほど悲観的には感じません。

  7. はな より:

    jeconetから来ました。興味深く拝見しております。
    私は博士満期退学で博士号を取ることはできず、当然研究職にも就いていませんが、日本社会全体に科学が広く行き渡ることを願って公立小学校で「理科アシスタント」という仕事をしております。仕事内容は理科の授業や実験がスムーズに行われるよう補助することと、あまり表には出されていないのですが「教員の(理科に対する)資質向上に貢献すること」です。したがって教員に研究ってどんなことかをどうやって伝えるかは私自身の問題でもあります。
    sshですら研究経験の無い先生が指導しているとのこと、泉井様の御指摘もありましたように小学校ではなおさらです。

    しかし誤解を恐れずに言えば、「これが研究ってものだよ」「良い研究とはこんなものだよ」って研究者が言ってるよと、伝えたところで役にたつでしょうか。いえ、このアンケートが無意味だと言いたいのではないのです。現に私の役に立っていますので。
    アンケートの回答者は少なく無い年月を研究に費やし、その面白さと厳しさに直面し苦しみながらその哲学を内面に蓄積してきた方々だと推測できます。その結論だけを提示して見せても表面を読むことしかできないのではないでしょうか。まずは型から、ということでしょうか。

    私の考えでは研究ってどんなことかというのは自分自身で研究をやってみる、良い研究とはどんなことかというのは自分の研究を他人の目にさらして批判を受け、かつ、他人の研究を見て批判をするという、それらの繰り返しでしか理解しようが無いように思います。
    ところがここで問題が生じます。現在、小学校や中学校では「自分でやってみる」「他人の成果を批判する」を嫌う教育をしているのです。2020年度の新教育指導要領の完全実施を前に変化が見られる部分もありますが、自分でやってみることよりも時間割を守ることが絶対大事ですし、教師を批判することなどありえないし、「いいとこ探し」は推奨されますが「批判」は教師自身がしたりされたりの経験が無いので指導ができない。これはどうやって解決したらいいのか皆目見当がつきません。

    一方で、私も「理科ってなに」「科学ってなに」を子供達(大人にも)に簡潔に伝えなければなりません。私の現時点での回答は、「理科ってね、、宇宙の基本なのだぁぁ!!」(=>うおおなんかすげー!!という感じを演出) 「科学ってね、世界中の人と『不思議やな』『なんでかな』『どんなことになってんのかな』っていう疑問を共有する『方法』のことだよ」などと言っております。
    小学生の研究の指導はまだしたことがありませんが、理科展(夏休みの自由研究の優秀作品が各校から出される)は毎年見るようにしています。多くはどこかで見たテンプレートに従っていて、それはそれでいいのかと思っていましたが、「新奇性」の記事を拝読してやっぱだめかなと思い直しました。小学生なので否定するほどではないかもしれないですが褒め方に工夫が必要(頑張りは褒めても突っ込むとこは突っ込む)かなと考えました。