有用性を示す大切さ 2

Ph.Dコラム

アメリカの野球選手などを見ていると、メジャーリーグの選手からマイナーリーグの選手まで、ファンサービスをしっかりとするようです。

もちろん野球という競技自体が、イノベーションに結びつくことは少ないでしょう。

しかし人々に楽しみを与えたり、病院などにお見舞いに行って勇気づけるということは、立派な「有用性」だと思います。

またそのようなエピソードが、ちょっと大げさに感じられるくらい伝えれます。

審判も踊ったりしますし、ボールボーイやボールガールもファンを喜ばせることを意識しているようです。

野球の有用性自体が否定されると、野球に関わっている人達全体が不利益を受けるからこそ、末端の人々までファンサービスを大切にするのです。

(そういうことを意識しているかどうかはともかく)

つまり業界全体として、一般の人々に自分達の意義をアピールする体制が整っているようです。

欧米では、スポーツだけではなく他の業種に関しても、一般の人々に受け入れられる重要性について意識されているような印象を受けます。

一方で日本の基礎研究に携わる人達はどうでしょうか?

最近でこそ「科学の面白さを知ってもらう」イベントが盛んになってきましたが、友人や親戚などに「その研究って何の役に立つの?」と聞かれて、しっかりと答えているのでしょうか?

少なくとも私自身、「たぶんあんまり役に立たないけど・・・」という感じの答えをした記憶もありますし、エライ先生から学生まで「何の役にも立たない」と答えているのをよく目にしています

今でも珍しいことではありません。

「役に立たないからこそ面白いんだ!」とおっしゃる大御所も見たことあります。

おそらくアメリカで野球関係者がこのような答えをしたら、総スカンを喰らうでしょう。

「大学院に進学する学生が減っている」という悩みは、もはや東大や京大の研究室でも聞きます。

しかし進学してくれた学生達に研究で学べることの意義を納得させたり、一般の人に有用性を示す大切さを組織的に教育している例を私は知りません。

大学や研究所がいくら科学の面白さなどをアピールして有用性を示そうとしても、その関係者が家族や友人達に「何の役にも立たない」と答えていたら意味がありません。

 

何年か前に、文科省が「文系学部の廃止」を唱えました。

これに対して、文系学部の先生達は「文系の学問だって重要なんだ!!」と激怒して反対しておられました。

マスコミも含めて反対意見が大きくなり、結局は文科省は撤回しましたが、私には文科省が言いたかったことと、世間の受け止め方が大きくズレているように感じられます。

私のような完全な理系の人間でも、予算申請書の作製や研究成果のアピール、一般の人と話す時などに文系能力を駆使しています。

「文系の能力」が重要であることは明白ですし、いくら文科省のお役人の方々でも、そこを見間違うとは思えません(彼らの多くも文系でしょうし)。

おそらく文科省が言いたかったのは、「文系の学問は重要だけど、

大学の文学系学部はその教育に役立っていない」

ということだと私は推測しています。

つまり大学の先生達にとっては、もっと酷いことを言われていた・・・・のではないかと。

しかし文科省の主張は、その表現力(文系能力)の低さも相まって世間には全く通じずに、「文系の学問だって大切なんだ」という論点がズレた反論に屈したのが真相ではないでしょうか?

どちらにせよ、「文系能力」という点では低レベルな騒動に思いますし、この方面の「教育」が上手く行っていないことを如実に示しているように感じます。

(もしかすると文系学部の先生方が、あえて論点をズラして自分達の不備を隠し通して完勝したという非常にハイレベルな話??)

 

おそらくは予算の使途を考える文科省も、お金の支出を抑制する財務省も、理系や文系の専門家からすれば素人の集団です。

自分達の専門分野を判っていない・・・という意味もありますが、

普通の一般の人々の考え方を多かれ少なかれ代表している

とも言えます。

つまり私達の基礎科学の分野も文系の学問も、世間から見たら「役に立たない趣味の領域」であると漠然と考えられているくらい、有用性のアピールに失敗しているのではないでしょうか??

>有用性を示す大切さ3 (予定)

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