ガタカ(ネタバレご注意)


ガタカ (字幕版)


ガタカ

“You are the authority on what is not possible, aren’t you?”

 

テレビやインターネットの情報や同級生などとの比較から、色々なものを諦めている人が多いように感じます。これは能力や実力、学歴も関係なく、どのレベルでも同じです。たしかに「諦める理由」というのは、探せばいくらでも見つかるでしょう。

この映画の描く近未来は遺伝子レベルで、出生時に能力や寿命を含む全てのスペックが診断されてしまうのです。しかも精子と卵を選別して、人工的に優秀な子供を産むのが常識の社会。自然に産まれた普通の子供は、残酷なほど客観的に全てを最初から否定されてしまいます。主人公のビンセントは自然に産まれて、寿命も30歳ほどしか無いと判定されました (神経疾患の発生率60%、躁鬱病42%、ADHD89%、心臓疾患99%、推定寿命は30.2歳)。これに懲りた両親は次は人工的に「優秀」な子供をもうけて、父親は長男のビンセントではなく弟に自分の名前を継がせます。ビンセントは宇宙飛行士に憧れますが、これは遺伝子レベルで最初から不可能な職業。面接でドアに触った瞬間に遺伝子を調べられて、ドアを開けて面接官に会った瞬間に断られてしまいます。そこで遺伝子的には非常に優秀であるけど、事故で半身不随になった水泳選手に偽装して航空宇宙局「ガタカ」に入り宇宙を目指すのですが・・・というお話です。是非とも見ていただきたいですね。

 

ネタバレも含めた話は下記です。

エリートばかりのガタカですが宇宙に行けるのは少数らしく、様々なテストや課題が出されて選別されていきます。ビンセントは遺伝子的には偽装していますが、その偽装も含めて凄い努力をして宇宙に行けることが内定します。色々とトラブルもあってピンチに陥るのですが、その過程でエリートだけど身体的な欠陥で宇宙に行くことを諦めたガタカの女性と知り合います。危険を冒しながらもビンセントがその女性に伝えたのが冒頭の1文を含む下記の言葉です。

“You are the authority on what is not possible, aren’t you Irene? They’ve got you looking for any flaw, that after a while that’s all you see. For what it’s worth, I’m here to tell you that it is possible. It is possible.”

「キミは何ができないかについては専門家かもしれない。周りのみんながキミの欠点ばかりを探すので、キミもそればかり見るようになってしまった。しかし本当は可能なんだ! 可能なんだよ!!」

その女性は心臓に欠陥があって宇宙に行けないのですが(でもガタカに入れるレベル)、ビンセントは遺伝的に全てを否定されたあげくに、実は推定寿命さえも過ぎています。もちろん心臓の欠陥は重大なハンデですが・・・、ビンセントの叫びも良く判ります。まして私達は・・・? 何かを諦めなければならないほどのハンデがあるのでしょうかね?

(実際にハンデがある人にはごめんなさい! でも他人とは違うことは、ハンデにもなりますが、武器にもなるかもしれない・・・と私は考えたいのです(ハンデがあること自体は変えられないならば)>下記)

20年も前の映画ですが、これほどリアルに近未来の社会を描いた上で、結論が

“After all, there is no genes for fate”

「(能力を決める遺伝子はあっても)運命を決める遺伝子は無い」

というのは、本当に凄い洞察力です。

 

 

なぜ人類は力も弱く、鋭い牙や爪も無いのに繁栄しているのか?

あまり考えない人は「人類は知能が高いから」と答えるでしょう。

でも・・・、「力が強くて鋭い牙も爪も持っていて知能が高い生物」が人類の代わりに登場していても良いハズです。実際のところは判りませんが、私は人類が他の動物と比較して劣っているからこそ、必死に頭を使って生き延びたのでは無いかと思います。その結果として、特に知能が進化する選択圧が発生して、その方向に進化が進んだ。逆に力が強く爪や牙が発達している生物は、知能を使う必要を感じなかったかもしれません。ジェロームや多くの人は夢を諦めて、ビンセントは不可能な夢を成し遂げたのは・・・・? そしてビンセントが普通にガタカに入れるようなスペックで産まれていた場合は、どうなったのでしょうか? 考えてみると面白いです。

(僕はマンガの知識しかありませんが、蹴ったりできないボクシングは、普通の格闘技では思いつかないような技術が色々と開発されたらしいです)

 

 

 

ガタカの最後で、ジェロームが自殺してしまいます。

これに後味の悪さを感じる人が多いですね。

もちろん僕も衝撃を受けましたし、ビンセントから学んだことを糧に前向きに生きて欲しかったですが・・・

詳しくは描写されませんが、いくつか指摘させていただきます。

1. ジェロームはビンセントが地球に帰ってきても困らないように準備していました。しかし、彼はビンセントが帰ってくると予想しているでしょうか? ビンセントは遺伝子診断の推定寿命が過ぎています。また、弟の刑事が懸命に兄が宇宙に旅立つことを止めようとしたのは、体が弱くて寿命も過ぎているビンセントの宇宙旅行が、死を意味すると考えたからだと推測します(スーツで出発しているので、実は全然負荷が無いかも知れないですが)。旅立ちの時のビンセントのモノローグも、彼自身が帰ってくると予想していない。ジェロームがどれくらい把握していたか判りませんが、これらを感じ取っていたのではないかと思います。つまり帰ってきた後に困らないようにしてあげているのはジェロームの願望であって、でもジェロームもビンセント自身も生きて帰ってくるとは思っていない。ビンセントの「なんで準備してるの?」的な戸惑った反応も、それを示していると考えます。たぶんジェロームは、ビンセントが生き続けると信じたくて、ビンセントが死ぬ未来を見たくなくて・・・かもしれないと私は思います。

2. ジェロームはたぶん、全く後ろ向きな気持ちも後悔も無く、二位しか獲れなかった自分の人生に、しっかりと誇りを持って死にました(金色に輝く銀メダルを見ましたよね?)。ビンセントが起こした奇跡も体験しました。彼の人生の中で一番幸せで、充分な満足感の中で旅立ったのは確実です。正しい考えではないと思いますが、ビンセントが帰ってくる見込みが無い以上は、今が最高点でこれ以上生き続けても・・・と考えたのかもしれません。

僕は目の前で死のうとしている人が居たら、もちろん絶対に止めます。「生きていたら絶対にいいことあるから!」「幸せだって絶対に訪れるよ!」という言葉をかけるでしょう。でもジェロームは・・・・? 後ろ向きな気持ちも後悔も無く、勘違いでは無い正真正銘の圧倒的な満足感に包まれて死を選んでいる人に、僕はかける言葉を思いつけないです。僕も生き続けて欲しいですが、その人の流儀・生き方・哲学に関わる部分で、僕はそれを侵されたくないですし、侵すのが正しいかも自信がありません・・・。

(まだまだ人生の経験が足りないのかも)

 

何のために生きるのか?

人生の何に価値があるのか?

色々と考えさせてくれるし、見つめ直させてくれるという意味で完璧な映画だと思います。

 

蛇足

メメント・モリという言葉があります。

一般的な解釈か判りませんが、「少女ファイト」というマンガでは、「いつか必ず死が訪れるからこそ、今を懸命に生きろ」と解釈していました。

これを見た時に、ビンセントとジェロームを思い出しました。

 

本当に要らない蛇足

ターミネーターという名作の映画があります。1と2が圧倒的に素晴らしくて、2で感動的に完結したのですが、州知事選に出たいシュワルツネッガーさんの都合(?)で3が作られて散々な評価を受けました。シュワルツネッガーが出てこない4はなかなか良かったと思うのですが、5も含めて3以降は大コケです。2の後は絶対に認めたくないという人が多いのでしょう。(気持ちは判ります)

ジェロームは、「ターミネーター3を見たくなかった」のでしょう。

(僕は4の続きを作って欲しい)

 

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