アイデアの源泉2:本質を見抜く訓練

Ph.Dコラム

出会いが偏っているのかもしれませんが、「社会の役に立つ研究をしたい人」よりも、「好奇心で研究する人」の方が論理的で鋭い人が多いと私は感じます。義務感よりも好奇心の方が原動力として強いと思いますし、深く考える習慣も身につきやすいでしょう。私にとって「基礎研究」は、本質を見抜く力を養うための絶好の場でした。

「役に立たない基礎研究」の分野は実力主義です。先輩や後輩、先生と学生などの身分よりも、面白い研究鋭い意見が評価されます。役に立つ(かもしれない)研究だから・・・というような言い訳はできません。特に私が大学院でお世話になった研究室は、圧倒的な実力を持つ先輩方から、合理的ではない内容やアプローチに対して容赦無い突っ込みが入りました。人格などではなく、研究の稚拙さに対する意見であるのは明白なので、余計に情けなく感じたものです。

おかげで学会発表などの場で「想定外の厳しい意見」に出会うことがほとんど無かったですし、そのような意見を出会うと、むしろ感動を覚えました。また自分で研究を進める上でも、常に「自分が自分の研究にとって一番厄介な批判者」である習慣が付きましたので、あらゆる角度から検証できるようになりました。

私は高校生研究発表の場でも、「合理的ではない研究内容」に対しては、しっかりと厳しい意見を言うようにしています。それは研究者の礼儀として、対等に扱うからです。(もちろん一生懸命取り組んでいること自体は褒めるようにしています)

 

*書いていて思ったのですが、切迫した深刻な状況での義務感・・・というよりも焦燥感は、大きな原動力になると思います。しかし今の日本で、そこまで焦燥感を覚えながら研究する生徒は少ないのではないでしょうか?

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