防御と共生の進化 3 〜コケ研究の利点2〜

防御と共生の進化

 

ヒメツリガネゴケの研究は90年代には開始されており、早くからモデルコケ植物としての確固たる地位を築いていました。もちろんコケ植物の進化的な重要性もありますが、最近まで不可能だった遺伝子を狙い撃ちで破壊するジーンターゲッティングが可能だったことも大きいです。ヒメツリガネゴケはコケ植物の蘚類に属しますが、ちょうど私がフタバネゼニゴケの研究を開始しようと考えた少し前くらいから、苔類(タイルイと読む)のゼニゴケが新たなモデルコケ植物として知られてきました。

ヒメツリガネゴケは蘚類の中でも少し特殊で、多くの蘚類の染色体は9本(性染色体を含む)らしいのですが、ヒメツリガネゴケは27本あります。私はあまり詳しくないですが、研究発表を聞いていても遺伝子を2つ潰して初めて表現型が出ることが多いみたいです。少し遺伝子の重複が進んでいる印象ですね。一方でゼニゴケは染色体が9本で、1遺伝子を潰すと表現型が出ることが多いようです。そして面白いのが、ゼニゴケもジーンターゲッティングが可能だということです。

もともとヒメツリガネゴケ以外の植物でジーンターゲッティングが難しかったのは、その効率の悪さでした。確率(数千〜数万分の1くらい?)があまりにも低すぎて、現実的ではなかったのです。ゼニゴケも例外ではないのですが、ゼニゴケの1個の胞子嚢に含まれる胞子の数は万単位らしく、胞子嚢を10個も使えば充分に当たるという原理です。(ちなみに私が使ったイネのOsCERK1の完全破壊株は、イネの培養細胞を使うことで同じように数で低確率を克服する手法で作製されています。)

しかも被子植物だと、10万個のタネを扱うには相当なスペースが必要ですが、ゼニゴケの胞子に遺伝子導入する時は500mlの三角フラスコ4つくらいで済んでしまいます。ゼニゴケの研究基盤整備に尽力されている京都大学の河内孝之先生の研究室では、修士課程の学生が3ヶ月位で10種類くらいの遺伝子破壊株を作ったそうですが・・・・。被子植物を扱っていた人間としては、ちょっと信じられないくらい便利です。

CRISPR-CAS9
最近になってCRISPR-CAS9という方法で、遺伝子導入出来る生物であれば、高確率で狙った遺伝子を潰せるようになりました。画期的なことですが・・・、早くからジーンターゲッティングが可能だったヒメツリガネゴケやゼニゴケはやっぱり凄いです。

ヒメツリガネゴケやゼニゴケの利点は他にもあります。被子植物では、簡便なモデル植物でも二倍体で、父方由来と母方由来の染色体が合計2本あります。つまり同じ遺伝子が少なくとも2つある。大部分の遺伝子は、どちらか一方でも健全な遺伝子が残っていれば表現型が出ないので、ゲノム中に1コピーしか存在しない遺伝子でも遺伝子破壊の影響を調べるためには、ホモ個体を得る必要があります(劣性ホモ個体)。自家受精可能な植物であれば、変異処理やジーンターゲッティング処理をした個体のタネを取って、その中に1/3の確率で入っている劣性ホモ個体を増やしてから解析します。これがもの凄く手間なのですね。

しかし恐ろしいことにコケ植物は、ほとんどの期間を半数体(1倍体)で過ごします。胞子も半数体なので、即座に表現型が解析できる。これはちょっと考えるだけでも、相当に研究戦略の幅を広げることになります。

劣性遺伝子
遺伝学の用語で、劣性と優性という概念があります。これは遺伝子の機能が優れていたり劣っていたりするという話ではありません。注目している生物の形質と遺伝子の関係を示します。例えばタネにシワができていて、それが1つの遺伝子によって決められている場合、その遺伝子(父方と母方の2つある)の一方が壊れてシワが無くなれば劣性、影響しなければ優性という言い方をします。 多くの場合、その遺伝子が「シワを作る機能」なのか「シワを作らせない機能」なのかという違いで、劣性遺伝子であることがほとんどです。遺伝子を変異させた場合、まれに優性の形質を示すことがありますが、例えば刺激を受けて分解されるはずのタンパク質をコードする遺伝子が、分解の目印となるアミノ酸配列が変異して分解されなくなるなどです。この場合は分解されてオフになったりオンになったりするシグナルが、常に元の状態を保ち続けるので、もう一方の遺伝子が変異していなくても表現型が出る訳です。

 

コケ植物の恐ろしさは他にもあります。少なくともシグナリング系の遺伝子に関しては、冗長性が著しく低いことです。例えば植物ホルモンであるオーキシンのシグナルですが、シロイヌナズナでは転写因子のAUX/IAAという29個の遺伝子が、23分子種のARFという遺伝子と複雑なネットワークを形成して働いています。ARFは3つの機能グループに分かれるそうですが、なんとゼニゴケでは1個しかないAUX/IAAを3つのARFが制御しており、しかも3つのARFはシロイヌナズナの3つの機能グループにそれぞれ属するようです。オーキシンは形態形成に重要な働きをしますので、おそらくは単純な形態のゼニゴケと複雑な形態を取るシロイヌナズナの違いでしょうが・・・。

ちなみに薬理学的な解析を行っている人と話をしていると、「薬物合成系は冗長性が高すぎてシロイヌナズナとは比較にならないくらい面倒」と言ってました。確かにコケは松茸の香り成分とか、シソの香り成分を作るくらいなので、形態よりも化学的な戦略が複雑化しているのかもしれませんね。

遺伝子の冗長性
生物の遺伝子を適当に破壊したり改変したりしても、大多数は何の変化も起きません。その遺伝子が重要ではない可能性もありますが、同じような機能をしている他の遺伝子が存在することが理由であることも多いです。このような複数の遺伝子が同じように機能することを、「遺伝子の冗長性」と言います。 進化における選択圧は非常に厳しいと思うので、私は「種として共通する形質・性質は意味があるはず」だと考えます。壊れても影響の無い遺伝子の存在は上記の事実と反するように見えますが、例えば生存率を1%上昇させるような遺伝子が欠損したとしても、100%から99%の変化を研究室で見分けるのは実際には不可能です(実験誤差の方が大きい)。しかし自然界で生存率が99%の生物が100世代に生き残る可能性は、私の計算が間違いで無ければ36%ほどです。200世代だと13%、500世代後だと0.6%ですね。500世代など、人間であれば1万年ほどですが、1年草の植物だと500年、大腸菌の理想状態では1週間。進化の時間で考えると一瞬です。もちろん実際はここまで単純ではないですが(子供の数にもよる)、研究室レベルで意味が無いことと、実際の進化で意味の無いことは違うということです。

 

私のようなマメ科植物の研究者は、非常に優れたモデル植物であるシロイヌナズナを「神」のように感じていました。他のモデル植物と比較すると、シロイヌナズナのモデル植物としての優秀さは圧倒的だからです。しかし・・・、これらの凄まじく便利なゼニゴケやヒメツリガネゴケを見ていると、シロイヌナズナが可哀想に感じてしまいました。まさかそんな日が来るとは・・・・。

実際に多くの研究者が特にゼニゴケを使い始めている実情からも、その優秀さが見えてきますね。

防御と共生の進化 4

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