生物の進化 VS 人間の知恵

Ph.Dコラム

あらためて考えてみると、人間の文明の進歩というのは凄まじいです。

たった1万年ほど前は、人類の最新技術は「打製石器」や「農耕」でした。

しかし500年ほど前にはマゼランの艦隊が地球一周を成し遂げましたし、50年ほど前にはガガーリンが宇宙に到達しました。

原子力エネルギーも扱えるようになりましたし、多くの致命的な病気さえも治療方法が確立されました。

平均寿命も2000年くらい前のエジプトで24歳程度、古代の日本だと14歳程度と見積もられているそうですが、今の日本は80歳です。

もちろん「平均寿命」は生物としての限界ではないですが、人が暮らしていける文化レベルの高さを示していますよね。

つまり人類が考えて工夫して産み出してきた技術の成果です。

人間の「考える力」は凄いですね。

 

一方で生物の進化も凄いです。

研究者としてだけでなく、生徒さん達と一緒に研究していても、生き物の備えている巧妙なメカニズムには感動を覚えます。

最近、工業的には「生物模倣技術」という生き物の仕組みをヒントにすることが流行していますし、例えば現在の技術では人間の臓器を代替することさえも難しい。

つまり現代の人類の技術でも追いつけないような工夫やアイデアが、まだまだ生物には埋もれていると予想されます。

面白いことに、これらは「考えて」開発されたものではないのです。

 

生物の進化は基本的に

「適者生存」

です。

つまり意図されてデザインされた訳ではありません。

母体となる種から常に少し形質の違う子孫が誕生し続けていて、その形質が従来よりも有利だったりすると、新たな種として繁栄していく。

もちろん従来の形質よりも不利な方が圧倒的に多いので、進化の影にはおびただしい数が消えていった訳です。

考えてもみてください。

例えば百万の集団で世代が1年毎に入れ替わる種が居たとして、百万年の時間があれば、通算で1000000000000個体が誕生する訳です。1兆です。

可能性が年末ジャンボで1等が当たる確率は0.000005%だそうですが、5万本は当たりそうです。

(陸上植物が誕生して4.8億年、マメ科植物が誕生して7千万年、人類がチンパンジーと分岐したのが700万年くらいと見積もられているようです。)

 

イントロンから推測される進化の苦闘
真核生物の場合、タンパク質の設計図が書かれている「遺伝子」は、設計図が書かれている「エクソン」の間に、「イントロン」と呼ばれる配列があります。ほとんどの場合、イントロンは必要ではないですがエクソンは大切です。私は近縁の植物で同じ遺伝子の配列を比較する機会が多いのですが、エクソンの配列がほとんど同じ場合でも、イントロンは激しく異なっています。イントロンにだけ変異が生じる仕組みは無いと思われますので、これは「エクソンにも同程度の変異が生じたが、生存に不利になって全て脱落した」ことが理由だと推測されます。つまり数万年〜数億年という単位の「進化」においては、おそらく試せるパターンは全て実行済みであるのでしょう。ただし、ある種の生物から進化可能なパターンは限られていると推測されます。つまりカラスから鷹のような鳥が進化することが可能であったとしても、いきなり魚になるのは無理だと思われます。

 

つまるところ、人間の思考力は突発的に新しいものを産み出す力があります。
しかし「見逃し」なども多発しますし、アイデアも徹底的に検証したものではないでしょう。
一方で生物の場合は、何も考えずに徹底的に試せる選択肢を全て試しながら進化しています。

新しいものを産み出す方法が全く異なる体系なので、我々が生物の研究から学ぶものが多いのは当然だと思います。

 

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